言葉の森を、歩いていこう

本と将棋が好きです。備忘録的な意味合いが強いですが、何かコメントをいただけると励みになります。

謎とき 村上春樹 再論

小説にはいくつか執筆意図があるように思うが、こと夏目漱石村上春樹といった小説における意図に関連して。

石原が提示する「謎とき」としての小説読解は、ことこの二人(竹山道雄三島由紀夫平野啓一郎もこれに加えていいのではないかと思う)に適合的なものと考えられる。

というのも、これらの小説は自分の「言いたいこと」を森の中にちりばめることを目的としたものだからだ。

ここで重要なのは、それはあくまで「言いたいこと」であって必ずしも「伝えたいこと」「理解してもらいたいこと」であるとは限らないことだろう。

彼らは言わば、東西の断裂の上に立つ異端者であり、普通の手法ではそれが受け入れられることが困難であることを経験的に、ないし感覚的に把握している。

したがって、彼らにとって長編小説とは評論のオルタナティブとしてのそれであり、世界理解における鋭敏なる本音を包み込み、一見受容可能なソフトな形へと変換する装置であるということができる。

内容に関しては、物語論としての解釈(表題はたしか「物語論で読む村上春樹」)に石原の説よりも共感を覚えた記憶があるので、次はそちらを再読してみようと思う。