新年
あけましておめでとうございます。
最近はあまり本を集中的に読むことができていないので、必然的にここに来るのも希になってしまいます。
また読んだ本についてまとめるために訪れるだろうと思います。
今年もよろしくお願いします。
来年の抱負など
放送大学の英語訳がthe open university of japan だと知って少し感動しました。
さて、来年は放送大学なりなんなり、少ししっかりとした形で学びを深めていきたいと思います。
それと同時にどうやって自立していくのか。
振りかえってみると思いのほか後悔の少ない年でしたが、かといって誇れるものもとりたててない一年になってしまいました。
来年は何かを成し、後悔の少ないような一年にしたいと思います。
俳句と短歌と
凝縮すればするほど、難しくなるのではないかと思うのです。
なので私はほとんど散文専門です。
ですがせっかく日本に生を受けたのですから、詩や短歌にも挑戦していこうかと思います。
17文字の世界は今はまだまったく見えてきません。
閑話休題
落ち着いたらまた更新しようと思います。
今は今できることを精一杯こなしていきます。
蜷川幸雄の稽古場から
人、特に若者の才能を引き出そうと懸命な点。
そのやさしさに包まれた厳しさ
透徹した人間・世界理解
それに基づく独自の世界観
偉大な先輩の遺産、どうにかして分け前を少しでも自分にも・・・と一瞬考えたが、故人でもない方についてそんなことを考える愚に思い至って考えるのをやめた。
演劇や文学、思想といった分野はかつて悦楽の源でこそあれ根源的に(何が根源かなど知るよしもないのに)無意味なものだと捉えていたので、興味こそ持てど、それを突き詰めることには躊躇を感じたものだった。
今はそれが逆転してしまった。
いずれまたそれが逆転する日が来るのかもしれない。
万物は流転する。
rolling stone gathers no moss.(スペルや単複が非常に怪しい)
さて。漫然と過ごす日々に、風化していった英語や漢字の知識。
まずはそのあたりの修復を進めることが前進への第一歩かもしれない。
謎とき 村上春樹 再論
小説にはいくつか執筆意図があるように思うが、こと夏目漱石や村上春樹といった小説における意図に関連して。
石原が提示する「謎とき」としての小説読解は、ことこの二人(竹山道雄、三島由紀夫、平野啓一郎もこれに加えていいのではないかと思う)に適合的なものと考えられる。
というのも、これらの小説は自分の「言いたいこと」を森の中にちりばめることを目的としたものだからだ。
ここで重要なのは、それはあくまで「言いたいこと」であって必ずしも「伝えたいこと」「理解してもらいたいこと」であるとは限らないことだろう。
彼らは言わば、東西の断裂の上に立つ異端者であり、普通の手法ではそれが受け入れられることが困難であることを経験的に、ないし感覚的に把握している。
したがって、彼らにとって長編小説とは評論のオルタナティブとしてのそれであり、世界理解における鋭敏なる本音を包み込み、一見受容可能なソフトな形へと変換する装置であるということができる。
内容に関しては、物語論としての解釈(表題はたしか「物語論で読む村上春樹」)に石原の説よりも共感を覚えた記憶があるので、次はそちらを再読してみようと思う。
music portraits
啓発録
橋本佐内15歳の作。すばらしい気概。見習いたいものですね。
自戒
・軽々しく言葉を使っていないか。軽率なる言葉は発したそばから自分を他人を傷つける凶器と化す
・相手を思いやっているか。思いやり寄り添わなば、言葉は届かず奈落へと沈み込む
・発した言葉は回りまわっていつか自分に還ってくる。心して言葉を記せ。語りうることのみを語れ。沈黙に耐える勇気を持て