言葉の森を、歩いていこう

本と将棋が好きです。備忘録的な意味合いが強いですが、何かコメントをいただけると励みになります。

Salyu

以前ファンだったもののしばらく遠ざかっていて、最近また触れるようになってみると、ずいぶんと様変わりしたように感じました。

プロデュースが変わったとか何とか小耳にはさみましたが。

まだろくに聴いていないのですが、第一印象は前の方が好みだったかなあ、、、と。

またじっくり聴く機会があると思うのでそうしたら追記します。

言葉はさんかくこころは四角

くるりの曲。いい歌ですね。

僕のイメージだと言葉は「四角」でこころは「まんまる」(そういえば昔ニャースが世界のどんなまるよりとか歌ってましたね)といった感じを漠然と思っていたのですが、冷静に見れば心はいくら言葉と対比したところでまんまるなはずはないですね。

それでも「丸」と「四角」が自分にはしっくり来るというのは、前に人に言われたことばの印象が強いからなのでしょう。

僕のような「言葉」に頼りがちな人間を「四角いひと」、「感覚」に生きる人間を「丸いひと」と表現したそのことばは、当時の僕に新鮮な輝きをもって受け止められました。

自分としてはなるべくまるに近づけるようにと意識しているところですが、理が勝りがちなのはなかなか変わらないようです。

人生の価値について

人生に価値があるとしたら、それは自分の存在によって泣いていた誰かを笑顔にすることができうるからだ、とか何とか。

それはさておき、西尾幹二『人生の価値について』について。

とてもよくまとまっていて、納得・共感しつつ読み進めることが出来たように思う。

気になったのは、西尾がほとんど誰も他の学者・評論家を引用はおろか名前すらも紹介しようとしない点。

一般向け書籍だということを考えてもやや奇異に映った。

内容的には小林秀雄とかなりの部分で共通する問題意識に基づいているように感じた。

未熟者の流し読みでの第一感にすぎないのであしからず。

ご批判等は謹んでお受けいたします。適当なことを公に記してしまい、申し訳ありません。

twitter

ついったー始めました。

アカウントはここと同じく@kamakura_abcです。

目下試運転中。

世界中の様々な人たちの言葉、写真、映像、、、が溢れていて、刺激的な反面頭がクラクラしてきそうです。

差分としては、こちらが本のメモが大半を占めるのに対して、向こうはつぶやきが含まれる率が高いとかそんな感じだと思います。

あちらは情報収集、こちらはアウトプットが中心なので自分の中ではだいぶ違う位置づけですが。

漢文脈と近代日本

斎藤希史先生による「近代日本のことばと漢詩文とのかかわり」についての本。

漱石や小林のつながりで漢文の世界に触れる必要を感じたので読み返している。良著。

著者は「爆問学問」にも参加していたようなので、見つけたらそちらの本も手にとってみたいと思う。

詩歌

小林秀雄本居宣長』は歌について次のように言及している。

宣長は、「歌といふ物のおこる所」に歌の本義を求めたが、既述のように、その「歌といふ物のおこる所」とは、即ち言語というものの出で来る所であり、歌は言語の枠であると考えた事が、彼の歌学の最大の特色を成していた。「物のあはれにたへぬところよりほころび出て、をのづから文ある辞」と歌を定義する彼の歌学は、表現活動を主題とする言語心理学でもあった。」

また、夏目漱石漢詩の才に溢れていたことは周知だが、平川祐弘『内と外からの夏目漱石』は東洋(特に中国)と西洋の詩を対比して「東の友情、西の恋愛」と端的に表現する。(詳細はアーサー・ウェイリー『古今詩賦』参照)

その上で平川は日本における状況について、

「ただし同じく東アジアといっても、次の事実を見落としてはならない。中国の詩文こそ男性優位の文学であったが、日本文学は二層構造になっていた、という違いである。」

「日本では文化は漢文の文学と和文の文学という二層から成り立っていた。上層の男性優位の部分は十九世紀の末年までの長い間、強い儒学的影響の下にあった。それというのは文語体の漢文は東アジアでヨーロッパ諸国におけるラテン語のような役割を演じてきたからである。しかし日本の下層部分では常にやまと言葉が用いられた。」

と指摘する。

 

漱石書簡集

特に明治34年のあたりのものを興味深く読んだ。

「僕はね、留学生になって何も所得はない。少しは進歩したと思って考えて見ても(ママ)心が許さんから仕方がない。自惚るより少しはよいかも知れぬ。」

「近頃は英学者なんてものになるのは馬鹿らしいような感じがする。何か人のためや国のために出来そうなものだとボンヤリ考えている。こんな人間は外に沢山あるだろう。」

「学問をやるならコスモポリタンなものに限り候。英文学なんかは縁の下の力持、日本へ帰っても英吉利におってもあたまの上がる瀬は無之候。小生のようなちょっと生意気になりたがるものの見せしめにはよき修行に候。君なんかは大に専門の物理学でしっかりやり給え。」

こうして並べると、かの巨人も悩み多き青年期を送っていたことがわかり少し親しみが湧いてくる。

内と外からの夏目漱石

平川祐(示右)弘先生による夏目漱石論。

とても平易かつ明晰に書かれている。

テーマも大変興味深い。

明治日本が生んだ「文士以上の知識人」に迫るものとして、この上ない一冊と期待して読み進めています。

Habu Yoshiharu

Habu has written numerous books, articles, etc. on shogi and various other topics. The vast majority of these works are in Japanese, but a few have been written especially for non-Japanese readers. Below is a select list of Habu's works.

Books in English[edit]

  • — (2000). Habu's Words. Translated by Tony Hosking and Yamato Takahashi(ja). Stratford-upon-Avon, England: The Shogi Foundation. ISBN 978-0953108923.
  • —with Hosking, Tony (2010). Masters of Shogi. Stratford-upon-Avon, England: The Shogi Foundation. ISBN 978-0953108947.
Wrote foreword
  • Hosking, Tony (1997). Art of Shogi (2nd ed.). Stratford-upon-Avon, England: The Shogi Foundation. ISBN 978-0953108909.
  • Hosking, Tony (2006). Classic Shogi: Games Collection. Stratford-upon-Avon, England: The Shogi Foundation. ISBN 978-0953108930.

海街diary

2015年映画化とのこと。

色々とテーマを読み込むことも、単純に世界を楽しむこともできるいい作品だと思う。

映画はあまり期待しすぎずに見守っていけたらと思います。

浅野すず役が広瀬すずさん。とてもかわいらしくて元気でイメージぴったりですね。